いまちず!

今、地図を広げよう! 地図好きによる、仙台+東北の、街のこと、再開発のこと、旅・乗り物のこと。

imachizu!

6月は宮城県にとっては、宮城県沖地震38年、岩手・宮城内陸地震8年の月

 

こんにちは!

東日本大震災があまりに甚大な災害だったためあまり表に出てきませんが、宮城県にとって6月は過去に地震に見舞われた月でもあります。

6月は過去に甚大な被害が出た地震が宮城県で2回起こっています。

宮城県は、実は地震多発地帯で、約37年周期で宮城県沖で地震が起きるエリアです。東北地方太平洋沖地震だけではなく、これらの地震についても知っておく必要があります。

1、1978年6月12日 宮城県沖地震

当時の建築基準法の耐震基準を改正させるきっかけの一つとなった都市型地震です。38年も前のことですので、最近他県から宮城に移り住んだ人などは存在自体知らない人の方が多いかもしれません。

f:id:d-naka07:20160615004936j:plain

写真出典:<宮城沖地震37年>37.1年間隔今は「不明」 | 河北新報オンラインニュース

f:id:d-naka07:20160615004955j:plain

写真出典:宮城県沖地震の克明な記録をメディアテークで上映(写真ニュース) - 仙台経済新聞

地震の強さ、揺れの大きさ

  • マグニチュード7.4
  • 最大震度は仙台市などで観測した震度5

被害状況

  • 死者28名(ブロック塀などの下敷き18名)
  • 負傷者1万名余り
  • 建物の全半壊7400戸
  • 停電70万戸
  • 断水7000戸

影響

この地震は、当時の大都市が初めて経験した都市型災害で、建物の全半壊の被害の多さから1981年の建築基準法の耐震基準の改正に踏み切るきっかけになった地震です。

1981年に改正されたこの耐震基準が通称“新”耐震基準と言われている現在の耐震基準です(その後も一部改正されています)

また、宮城県ではこの日を宮城県防災の日として、各地で防災訓練などが行われます。

<宮城沖地震38年>6強想定 避難路を確認

住民救出のため、チェーンソーで倒壊家屋の屋根を切る自衛隊員
 

 1978年に起きた宮城県沖地震から12日で38年を迎えるのを前に、宮城県名取市は11日、巨大地震や山林火災の発生を想定した総合防災訓練を那智が丘地区で実施し、地元住民や児童ら約1000人が迅速な避難方法を確認した。
 那智が丘小であった訓練には、県や陸上自衛隊も参加。午前8時半、県沖を震源とする震度6強の地震が起き、家屋の倒壊や山火事が発生したとの想定で行われた。
 住民らは避難勧告を受け、自主防災組織が中心となって危険箇所や要救助者のいる住宅を確認しながら同小まで徒歩で移動。バケツリレーによる消火作業や、倒壊したブロック塀の下から住民を救出する訓練に当たった。
 校舎に取り残された住民を県の防災ヘリコプターで救助したり、自衛隊員が倒壊家屋から住民を助け出したりする訓練もあった。
 那智が丘地区自主防災会の高屋政志会長(66)は「参加者が1000人以上となり、防災意識の高まりを感じた。公助だけでなく自助も必要だと認識できるので、こうした訓練の継続が大切だ」と話した。

 出典:<宮城沖地震38年>6強想定 避難路を確認 | 河北新報オンラインニュース(2016年06月12日日曜日)

2、2008年6月14日 岩手・宮城内陸地震

8年前に栗原市が最大震度6強だった地震がこの岩手・宮城内陸地震です。

f:id:d-naka07:20160615010419j:plain

写真出典:岩手・宮城内陸地震 - Wikipedia

地震の強さ、揺れの大きさ

  • マグニチュード7.2
  • 最大震度は宮城県栗原市と岩手県奥州市で観測した震度6強

被害状況

  • 死者17名(宮城県岩手県福島県合計)
  • 建物の全半壊176戸

 岩手・宮城内陸地震は、同規模の山間地で起きた地震としては土砂崩れが多いことが特質されています。断層が山間地であったこと、またその山間地に道路などの人工物があり、被害が目立ったことです。

<内陸地震8年>追悼の朝 祈り重なる

犠牲者を悼み、慰霊碑に手を合わせる市民ら=14日午前8時47分、栗原市栗駒耕英
 

 死者17人、行方不明6人を出した岩手・宮城内陸地震は14日、発生から8年を迎えた。最大被災地の宮城県栗原市では発生時刻の午前8時43分、市民や遺族らが追悼のサイレンに合わせて市内各地で黙とうした。
 佐藤勇市長は午前、被害が大きかった花山地区と栗駒耕英地区を訪れた。このうち、花山農山村交流センター前では、遺族らとともに市内の犠牲者19人の名前が刻まれた慰霊碑に献花し、冥福を祈った。
 土石流が直撃して7人が犠牲になった栗駒耕英地区の駒の湯温泉では、発生時刻に合わせて遺族や地元住民ら約30人が慰霊碑に手を合わせた。
 母と兄を亡くした駒の湯温泉経営菅原昭夫さん(60)は「悩んだり、悔やんだりした8年だった」と振り返りながら、「多くの人たちの支援に感謝している。これからも精いっぱい頑張りたい」と思いを新たにした。

 出典:<内陸地震8年>追悼の朝 祈り重なる | 河北新報オンラインニュース(2016年06月14日火曜日)

 

最近は日本全国どこで地震災害が起きても不思議ではないといわれますが、宮城県は古くから、「地震が確実に起こる」と言われているエリアです。

東北地方太平洋沖地震の強さは1000年に一度ですが、その規模に満たないマグニチュード7程度の地震はいつきてもおかしくありません

まずは、こうした地震被害の記憶をしっかり知っておくことが大事なのです。