こんにちは!
モアイ像はイースター島に行かなくても宮城県南三陸町で見ることができます。ご存知でしたか?今回は、南三陸町とモアイ像の関係をご紹介します。
実はこのモアイ像は津波に大きく関係しているのです。
南三陸町はどこにある?
仙台から車で約1時間半くらいです。交通状況にもよりますが、高速道路を降りてからも信号がほとんどないので、比較的のんびり走ることができます。
南三陸町のどこにある?
南三陸町の南三陸さんさん商店街の一角です。
南三陸町は東日本大震災の津波で大きな被害を受けており市街地は壊滅してしまいました。鉄骨だけになってしまった南三陸町防災庁舎は映像で見たことがある人が多いのではないでしょうか。南三陸さんさん商店街は、その防災庁舎からすぐ近くにあります。
南三陸町とモアイ像の関係
きっかけは1960年のチリ地震津波
実はこのエリアが津波に襲われたのは、東日本大震災が1000年ぶりではありません。今から約45年前の1960年、太平洋の向こう側でチリ地震が発生しました。チリ地震は大変大きな地震だったため太平洋上の震源地で発生した津波が日本の太平洋側沿岸にも1日以上の時間をかけて到達したのです。
リアス式海岸の地形のため津波の波高が高くなってしまう南三陸町は、この時も41 名が犠牲となり、312 戸の家屋が流失、倒壊 653 戸、半壊 364 戸、浸水 566 戸の壊滅的な被害を受けたのです(旧志津川町)。
チリと南三陸の交流が深まる
それから30年後の1990年、チリ地震の記憶を公正に伝えるべく、チリから国鳥コンドルの碑が贈られました。この時からチリと南三陸の交流が活発化します。翌年1991年には、ふるさと創生事業の一環としてチリ人の彫刻家にモアイ像を依頼し、設置したのです。
東日本大震災で被害
そのモアイ像も東日本大震災で、地震、津波の被害を受けてしまいます。こうした状況に日智経済委員会チリ国内委員会がチリの関係者に協力を求め、彫刻家を動かしました。
「海に破壊された日本の町に、人々が再びそこで生きていきたいと思えるようなマナ ( 霊力 ) を与えるモアイを、贈れないのか?私は息子とともに、日本の人たちが必要としているモアイを彫る!」そう彫刻家が言い、イースター島の石を使い、モアイ像が造られ、南三陸に贈呈されたのです。
貴重なモアイ像
このモアイは写真のとおり目が入っています。
実は、目の入ったモアイは世界に2体しかなく、大変貴重なのだそうです。
こんな経緯があり、モアイは南三陸では津波と関係が深いものなのです。
(まあ、ふるさと創生事業のおかげといえばそうかもですが。。。)
今では、このモアイがちょっとした観光スポットにもなっています。皆さんもぜひ南三陸に行った際には、モアイを探してみてください。